人生は必然!ならいっそ楽観的に、ポジティブに!

子供

育児は育自。

育児の本当の目的は、子供を自立するまで育て上げることではありません。

育児を通して、親自身が気づき成長し、自らを育むことこそが本当の目的!

 

その上で、この世の全ては必然だ。と感じることが増えました。

 

例えば、個性的な息子が私の子供として生まれてきたことも、やっぱり必然なんです。

私の遺伝子を受け継いだとか、そういうことよりも、

『私という人間に気づきを与えるためには個性的なくらいでないと!』

そんな感じで息子たちが私の元にやってきて、あの手この手で色んなアクションを起こして

私にいろいろな気づきや成長をもたらしてくれるのも必然!!

 

もっと言えば、過去の体験や出来事も今思えば偶然はない!!

 

◆この瞬間のためにあの体験が必要だった

自分の生い立ちを知り、自分が養子であることが分かるより以前、

私は中学時代から心身症として、過呼吸のパニック発作という問題をかかえていました。

(私の生い立ちについては「養子だったけど、私の人生最高。」の記事をご覧ください)

 

今となっては、過去の出来事はあくまでも過ぎたことなので、自己都合だろうがなんだろうが美化してOK!!と言うのが私のスタンス(笑)。

 

ですが、事実として過去の私が、当時どうであったかというと、、、

自分の生い立ちについて薄々気づき始めていたこと、私自身ストレス耐性が以上に低いこと、

人目を異常に気にしすぎる性質が重なって、度々発作を起こしていました。

 

高校、大学と発作は治っていたものの、社会人で再発。

電車に乗ることができなくなり、当時勤めていた会社も辞めました。

 

それでもなんだかんだと、結婚、出産してからも発作が起こることも全くなく、

自分自身そんな過去があったことさえも忘れていたほどでした。

しかし、この過呼吸の発作がつい最近、十数年ぶりに再発したのです。

 

きっかけは次男の不登校について、あれこれ迷いがあったことでした。

 

呼吸が浅くなる恐怖と、また同じことを繰り返すのかという自分に対する情けなさ。

とにかく辛かった。

 

そんな久しぶりの発作中、パニック障害の再発、トラウマ、色んなことが頭をよぎりました。

けれども久しぶりの発作が治まって、鮮明に頭に浮かんだのは、とある過去のワンシーン。

それは、中学時代、私が母の前で過呼吸の発作が出たときのこと。

何かで言い争った末に、私が発作を起こしたように記憶しています。

発作で床に転がる私を、冷たい目で見下して、

「わざとでしょ?そうやってあんたは逃げるのね」

そう母に言われたことを思い出したんです。

 

当時、母は私の過呼吸については理解できなかったと言っていました。

母も辛い思いをしていたと思うので、今更これについて私が思うことはありません。

 

ただあの時、過呼吸になった私に手を差し出してくれなかった母に感じたのは、

「あぁ、こんな発作の出てしまう私なんかは認められないのだ」という絶望でした。

 

こんな子供ではいけない、普通でない私は母の望む子供ではないのだ、

〇〇でなければこの家に居場所を求めてはいけない。

ただでさえネガティブな私は無駄に事態を重く受け止めてしまいました。

思春期真っ只中の私が、この後こじらせたのは言うまでもありません、、、(苦笑)。

 

今なら、母の苦悩や葛藤にも寄り添える自分がいますが、その時の私には本当に辛い体験でした。

これが俗にいうフラッシュバックなのかはわかりませんが、

今まで思い出すことがなかったのに、最近のタイミングで発作が出て、

過呼吸が故意であると疑われた体験を思い出したことは、

私にとってものすごく大きな意味を持っていました。

 

あの時の私と今の次男に共通する思いは、、、

『信じてほしい』

 

あの体験をしたからこそ「子供を信じたい」という思いがさらに強くなりました。

 

あの嫌な体験、不登校の次男、どれも起こるべくして起こってる。

あの体験があったから、今の私がある。

 

そう、これらのことは全て必然なんだ。

 

◆過去の辛い体験は全て困難を乗り越えるためのの布石

次男が不登校という状況は、決して喜ばしい状況ではありません。

しかし、次男が自らそのようなアクションを起こしたことで気づけたことがたくさんある。

ただただ平和に何事もなく穏やかな日々は、それだけで幸せかもしれない。

けれど、私の過去の辛かった経験と記憶が今の状況を単純にどうすべきか教えてくれる。

次男の集団と同じであることへの反発を「異物」扱いしない今の私が存在するのは、

過去の辛い自分自身の体験が根底にあるからだと思うのです。

 

だからこそ次男が私の元へ生まれてきたことは、偶然ではなく必然だと感じるのです。

 

◆過去の何かに囚われたり執着していることは必ず手放せる

パニック障害の他に、もう1つ、私が過去に執着していることがありました。

私は、養子として育ってきた過程で「かわいそうだと思われないように」と

甘やかされて育てられてきました。

何度も「かわいそう」とか「不憫だ」と思われないように育ててきたと聞かされていくうちに、いつの間にか「かわいそう」という言葉に敏感になっている自分がいたようです。

 

その執着に気づいたのは、不登校の次男を見て「かわいそうに」と言われた時でした。

その言葉を聞いた瞬間、怒りの感情が湧いてきて、自分でも何でこんなにその言葉に反応してしまうのか不思議なほどでした。

 

過呼吸の発作も、「かわいそう」の言葉への執着に気付いたことも、

どちらも育児がきっかけでした。

そして、思い出した過去も、執着への気付きも、妙に納得して受け入れられたんです。

 

「心が過剰反応する言葉は、あなたの過去の経験からくる執着。

その執着に気づいた時が、手放すチャンスなんですよ」

これは、最近お会いしたパートナーシップについて研究されている方に頂いた言葉です。

 

まさにその通りで、受け入れた瞬間、手放すことができるんですよね。

この言葉をこのタイミングでもらえたのも、偶然ではないと思います。

 

◆おわりに

過去の経験が今の私を作っているのは間違いありません。

しかし、その過去の経験に執着していては、いつまでも成長せず止まったままです。

過去を受け入れ、手放すことで、自分自身をアップデートする。

過去の体験に執着せず、財産として価値あるものにできるかどうかは、

今の自分の行き方次第です。

 

自分の今置かれている状況が、辛いかどうかは自分が決めればいいこと。

可愛い3人の息子が私を母に選んで生まれてきたことが偶然ではなく必然ならば、

これから起こることもきっと必然。

 

望まない未来が必然でやってきても、それは人生を好転させるきっかけに過ぎない。

 

どんな未来が待っているか分からないけれど、もしも未来が決まっているのなら、

もっと楽観的に、日々の出来事を、母として、妻として、1人の女性として、

とことん楽しんでやろう!って思えますよね。

 

大人になったから制限がある

大人になったからできない

若いうちが華とか、若ければ何でもできるって耳にしますが、

これ全部リミット掛けてるのは自分自身!

 

たくさんの経験をしてきた大人だからこそできる!

 

この意識を持って、今日も素晴らしい1日を過ごします♪♪